※このプレイ記はゲームの進行にあわせて物語を紡いでいます。正史にも演義にもない架空のお話ですからご注意ください。
■群雄内政に力を注ぎ諸葛亮出廬す(192年~196年)
196年 その1(可進の死と董氏の台頭)
(196年前半の勢力状況)
前年末の可進の死によって、漢朝の屋台骨が揺らぐこととなった。
董承
可進の跡を継いで大将軍に任ぜられたのは、董承であったが、これには、漢朝の諸官も大いに驚いた。というのは、その董承の姓が「董」であることが原因であった。
というのは、現皇帝である劉弁陛下(少帝)は、母が可進の妹で、そのため可氏が外戚として専権を振るっていたのである。(可進もその”ひき”で大将軍になった。)
これに対して、先帝の霊帝が側室に産ませた「劉協(のちの献帝)」という弟がいた。この側室というのが董氏一族の女官であり、後継者争いの渦中にあったのだ。
可氏と董氏はいわば政敵関係にあったのである。
大将軍に董氏出身の董承が就任するという事は、漢朝の勢力図が塗り変わるという事であり、政略面で混乱を来す事は必定であった。
では、なぜ可氏一族の者を差し置いて、董承が大将軍になったのか、ということが謎になるわけだが、これに関しては表立っては、可進との個人的交際が強く影響したと言われていた。
生前の可進が、可氏の繁栄を盤石のものとするため、朝廷に影響力のある董氏の統領で[馬票]騎将軍だった董承に誼を通じ、「義兄弟」となっていたのだ。
しかし、可進は人を見る目がなかったと言えよう。よりによって董氏を義兄弟に選ぶとは…。
それも、後日を知っている今になってこそ、言える事であるのだが。
董氏は、漢朝の名門の一つである。実のところ董承も、そのことで名門風を吹かすところがある人物であったのだが、さらに悪い事に策謀家でもあった。
また、朝廷の中枢に近く、また一門の血筋から皇族(劉協)を出している事を良い事に、諸官から付け届けを強要したり、地方からの貢ぎ物を横領するなど、悪事を働き、清流派からは白眼視される噂の絶えない人物であったのだ。
実は、今回の政変(可進の死から董承の大将軍就任)の裏にも、恐るべき陰謀が秘められていたのであったが、これについては、また後に明らかになるであろう。
ともかく、現皇帝である少帝の血筋である可氏に忠義立てした高官の中には、悪名高い董承の大将軍就任に反発して、離反して半独立状態になった者もいた。(ワイ南の袁術、陶謙、上庸の劉エン)
さらには、可進から北軍(征北将軍)を任されていた公孫サンが、諸侯に檄を飛ばし、反董承連合を結成するに至って、事態は急を告げ、洛陽は騒然となった。
董卓
さて、董卓である。董卓も董氏の一門ではあるが、実は、今回の反董承連合に同調して参戦している。
というのは、董卓は常に、自分自身に最も有利に働く選択をする私利私欲の人物であり、一門の董承が大将軍になったとしても、諸侯が多数反対している状況を承知しており、このままでは董承の政権は長く続かないどころか、彼が失脚した場合同じ董氏ということで、連座させられかねない危険な立場に陥れられただけだと、思っていた。
さらには李儒に謀り、この混乱の中で連合軍を利用すれば、容易に自勢力の拡大が図れる、と値踏みもしたのだった。
こうした状況の中で、董卓の反応は素早かった。公孫サンの檄を受け取るやいなや、安定の凶星に伝令し長安を突くように命じた。
凶星は、長安の西、街亭の険に立て籠もる董承の勢力を、連合軍の圧倒的物量で押し包むと、これを包囲し逃げ道を無くした上で、包囲殲滅した。弘農からの敵援軍も北側から参陣してきたが、凶星はこれを無視、連合軍を分散することなく長安の主力を片付けた。
これにより援軍は無意味となり、弘農からの敵援軍は逃げ帰った。
街亭の戦い
董承
董卓
董卓の長安占領に驚いた董承は董卓と密会し、自身の謀をを打ち明け董卓を秘密裏に自陣営に引き入れることにした。
董卓も、長安を奪ったばかりだというのに、ふてぶてしくも董承を自宅に招き入れ、その話を聞いたのだった。
董承の秘事は、さすがの董卓にとっても恐るべき事であった。
一つには、可進の死因が病ではなく毒による暗殺であった事。二つには、現皇帝である少帝を廃し、董氏の血姻である劉協を新帝に立てる事。
今回の政変は、全て董承の陰謀であったのだ。
董承は、内に向かっては宮廷の董氏の係累のの女官や宦官と秘かに連絡を取り、可大后に知られることなく宮廷勢力を拡大させつつあり、外に向かっては朝廷の政界工作を着々と進め、可氏に虐げられたり左遷させられたりした諸官の支持を取り付けてることに、ほぼ成功しつつあった。
董卓にとっても、大将軍一人に荷担するのとは違って、皇帝の外戚になれるとなれば、これは話が別であった。勅命を使えば、反対する政敵や勢力などを滅ぼす事など容易な事である。
これを聞いて董卓も、董氏で天下を牛耳るという野望に、はなはだ期待をふくらませ、裏側で協力する事を約束したのだった。
具体的には、董卓が一気に洛陽を突き、その圧倒的軍勢で洛陽を占拠し少帝に廃立を強要する。董承の方は、朝廷工作をさらに進め、皇帝の交代を反対されないだけの根回しを行う。
恐ろしい陰謀であるが、悪名高い二人にとって、清流派の言うような建前など飾りにすぎず、あくまでも俗的な利益、金銭に代表される栄華が自らの手に入ればそれでよいのだった。建前を気にかけるとすればそれは、劉協の即位時に誰からも後ろ指さされないような形式作りをする事程度であったが、それも自身の栄達栄華の差し障りになる事を避けるためにすぎなかった。
こうして、董氏の二人は今後の計画について打ち合わせを行った上で別れ、それぞれ陰謀を進める事になった。
董卓は凶星に、「他の連合諸侯に負けないよう洛陽一番乗りを目指せ」との伝達を送った。表立ってはなんの問題もないように聞こえる命令であったが、舞台裏から見れば、それは董卓を至上の官位へ押し上げるための策謀であったのだ。
●ゲーム的には?
意外と可進の寿命は短いんですよね。ゲーム的には当然暗殺などではなく、自然死です。
通常プレイの場合は、王允か袁紹を義兄弟にしておいて、史実に沿ったプレイを目指す事が多いのですが、今回は成り行きに任せてみました。
結果的に董承と義兄弟になったので、それにあわせた物語を急遽作ってみました。
また、董卓の長安攻めについてですが、このときは漢中から進軍せず、安定から行わせています。
これは、不思議な事に三国志8では、漢中と長安の間には陽平関があるのに、安定と長安の間にはドウ関が無いのです。このため西側から長安を攻めるのが容易になっています。
史実ではそんな事はありません。漢朝にとって(というより全ての中華諸国にとって)西北の騎馬部族の襲来対策は最重要な案件であり、難攻不落といわれた長安で、その西側ががら空きであるなど、あり得ない話のはずです。
ブログトップ | エクセルで競馬 | 本家WEBサイト
最近のコメント